ありがとう存じます。
唯先生、おはようございます。
今日のお身体の調子はいかがでしょうか。
くうは鬼ごっこが好きです。
今朝も遊んでほしそうな顔をして「みゃ〜お」と鳴くので追いかけると、
くうは走ってご飯のところに行き、カリカリを食べ始めました。
「なぜ今食べる?」と思いましたが、
カリカリを食べるくうのすぐ後ろで待ちました。
くうは追手が背後に迫っているのにゆっくりご飯を食べ、また逃げ出しました。
食事タイムは私が捕まえてはいけない安全タイムと思っているのでしょうか。
過去のブログに育代さんが起こされた、
平成21年1月17日の個人接心のお話が掲載されていました。
『皆私のことを好きと思ってくれてるやろう。
だけど自分の信じた分だけ還ってくるってことや。
その度合いは皆違うはずや…その度ごとにな。
さっき言ったみたいに信じてへん人は来てへんと思うねんで。
度合いがどんだけや?って言うことや。
せやから信じた分だけ還ってくる。
そう言うと私、神仏さまにガツン!!と言われそうな気がすんねんけど
信じてへんわけやないねんけど、私は神仏さまを信じてるけど、
だけど起こっていることは自分の中でクエスチョンやった。
でもこれはこの仕事の渦中にいてるからクエスチョンやないとできひんかったこともある。
自分で溺れたらあかんっていう自制心ももちろんあるやろ?
だからそれでも吐いた言葉は真実で起こる。
っていうことがこんなに見せてもらったことはない…形でな。
「そない言うてはったからこういうふうに流れていく」
っていうのはどこにでもあると思うねんな。
それも本当なんやねんで。
だけどそういうのは感じられへんやろ?
まぁ「有り難いことやなぁと思った…」というのと同じようなことやんか。
本当にどれだけ思ったか別やで。
「有り難いというのを形に出せ、1万円札か10万円札か」
っていうみたいな形になるやろ?
だからそういう意味で言ったらそれはどうか分からへん。
信じた分だけ還ってくる…これは事実やと思うって。
何を戴けるかは自分がどれだけ信じたかや。
それしかない…って私は思う。
それを今日○○ちゃんが書いてたんやな。
新しく来はった人たちが直球で信じてはるやろ?そのまま。
そしたらそれだけのものをもらって動いてる。
それは、「仕事がこんなふうにうまくいきました」っていうこともそうやし。
私はそのまま直球で…難しい言葉で伝えたくない。
アホほど物凄い小難しく書くねん、物凄い難しい文章で…賢そうに書くねん。
本当に賢い人は科学やの何やのいうことでも、
一般の人間でも分かるように易しい言葉で伝えてくれはるねん。
だから難しい言葉を易しい言葉で伝えたい。
易しい言葉は笑いながら聴けるように伝えたい…それは私の願いやけど。
出来てるか?ってそれは別やで、別やけど、だけどそうしたいって思ってる。
だから出来るだけ普通に分かる言葉で、前言ったみたいに、
“あなたは風鈴…私は風…”って言ったみたいに、
その度毎に言葉は違うけれど、表現は違うけれど、
言葉が届くようにって努力をしてるだけっと思うねんな。
伝えてることはずっと一緒。
“全ては神仏さまからの預かりもの”
どうやって自分が全てのものを大切出来るか。
だいぶ前に貧乏神退治や!って言って、
「そこらじゅうにあったものを全部処分しました。
でもまだ使えるとか着られるものを処分して良いのか心が痛んだ」って書いててん。
もうちょっと深く考えろ…と思うねんな。
そう考えないかん物を買い集めてきた自分を思い至らなあかんな。
もちろん私だって一緒やで。
ほったらええのと違うねん。
ほらないかんものをいっぱい溜め込んでた。
こんだけ物を買ったことを考えろ…や。
本当はまだ使えるのに、本当はほるあかんのんとちゃうかな…って。
本当にほるのとちゃうねんで。
例えばリサイクルに出すねんけど、
でもそれを「違うのんちがうかな?って思いながら片づけました」って。
それはそうして買うた自分を反省してないってことやな。
たくさん物は要らない。
もちろんうちでも娘に私が言ったみたいに、
「おしり一つしかなないのに 何でパンツそんなに要るねん?」って言ったみたいに、
そらパンツ一枚では暮らされへんよ。
乾けへんかったときどうするねん?ってなるしなぁ。
それに誰かって変な意味でなくても、友達と旅行するときでも、
ややこしいちょっとレースがほどけてるのは嫌やろ?
せやから何枚か要ると思う。
だけど50枚も100枚も要らんやろ?
毎日捨てていくねやったら別やで。
それやったら紙パンツ買えばええねから
だから最低限でも暮らせるやん…て。
よく昔から言うやろ? “座って半畳 寝て1畳”って。
本当に1畳で暮らせって言われたら困るで。
畳のところに壁があってみいな…物凄いあかんやろ?
だけど自分の動ける場所とか、自分の占める場所な。
寝転んだらそんだけしか要らんねん…
そら100畳のところに自分だけ寝てたら嫌やなぁ…(笑)
せやからそれぐらいのことやということを思い知れということやな。
横になってもどんなに大の字になっても1畳で十分やろ?
それ以上になれへんやんか? 一人でおったら。
だから それくらいのことしか要らんのに、
でもまぁタンスがあったりとかって、そらもちろんあんねんで。
それをどうして考えられるかどうか…
自分の必要とするスペースはその程度やって言うことも含めてな
どない考えられるか?って考えるべき。
たくさんの洋服をほらないかんかったってことは、
そんだけ要らんものを買ってきたってことや
ほることに罪を感じるより 買った自分を反省する方が大事やな?
いつも言うやつ…想い至るって言うことをせぇへんかったら。
こんだけ要らんものを買ったんや…申し訳ないことをしたなって思わなあかんな。
だからそれを一生懸命伝えてるってこと。
その易しい言葉で…難しいことを易しい言葉で伝えたい。
笑って聴けるように伝えたいと思ってる。
だけどそうしてたらもちろん伝わらへんこともあるわな?
それは怒ることとまた違うことやで。
どうやったら伝わるか…例えば 例をこんな風に言ったら分かるかな…とか。
一番興味を持ってることで言ったら「あ?」って思うか分からへん。
そういうことで伝えたい… これはそう思ってるだけ。』
易しい言葉で大切なことをご指導戴いていることを有難く思います。
唯先生、ありがとう存じます。
ありがとう存じます。
菜穂美