ありがとう存じます。
唯先生、おはようございます。
今日のお身体の調子はいかがでしょうか。
ナナがくうの毛づくろいを手伝い、
そのお返しのようにくうがナナの毛づくろいをしてやり、
またナナがくうの毛づくろいをするということを交互に繰り返していました。
「仲いいね〜」とほのぼのしながら見ていると、
ナナが噛んだのをきっかけに噛み合いになりました。
お互い甘噛みですが、だんだん激しくなり、ほのぼの気分は吹っ飛びました。
平成23年4月5日のグループ接心のMDを聞いています。
『私が伝えようとしてることは仏教の世界とはまた違う。
そうなんやけど、それは仏教というものの名を借りて…
でも真言宗の極意ではあんねんで、私の言ってることは。
真言宗の中のほんとに宇宙と繋がってる話は真言宗の中の基本やねん。
密教っていうことは、顕教って普通の生活、これだけやないやんか。
人間には裏があったり魔が動いたりってするでしょ。
それをも踏みつけてはる仏さんがいてはるやんか。
それを見た時、「あ、密教は必要や」って私は初めて思った。
やっぱり必要やって。
見えないおどろおどろしいものをいかに踏みつけて押さえられるか。
人の心にもあることやで。
だからそれを教えてるわけやろ、言ったら。
自分自身がどれだけ自分をコントロールできるか。
100…例えば心を計ったりできへんけど100という数字で心だったとしたら、
その人によるし、わかれへんで。
せやけど、30くらい魔かもわかれへんな。
あと70ぐらいのええ方で自分が生きてる。
社会に対しても、自分自身もそう装って、その魔に気づかずに。
でも何かしら拍子にちらっと出て来て思いがけないことをしたり、
思いがけないことを言ったりする。
それにいかに気づくかやな。
どこで踏み留まれるか。
っていうことは、なくなったりはしないけど、
どうコントロールできるかやと思ってるねん、自分自身の心を、常に。
出さないようにな。
だからどんな一つの言葉の乱れも全て自分の中にあるものやとしたら、
ちょっとの隙間も作れへんことやと思うな。
それが言ってるみたいに、「習慣化する」
「起きたらこうやる、ああやる、こうやる」ってやってて、
そらテレビ見る時間があってもかめへんねんけど、
だけど…あのね、私いつも思うねんけど、テレビ見てたらな、
しょうもない番組でなんか気になってずぅ〜っとこうやってすぐ1時間ぐらい経つやろ。
そうやってる最中に、「この時間の後でこれやります」って出るやろ。
そうすると、「あぁ誰やらが出てくるねん」とか、2時間3時間すぐ経つやろ。
それはもう私の中ではものすごい人生の無駄やと思うねん。
私ん中では許されへん。
人とちゃうで、自分自身がね。』
良いものを生かせる生き方にしていきたいです。
唯先生、ありがとう存じます。
ありがとう存じます。
菜穂美