ありがとう存じます。
唯先生、おはようございます。
ブログを更新して戴き、ありがとう存じます。
過去のブログに育代さんの平成21年6月21日個人接心のお話が掲載されていました。
『してきたことしか言われへんてことは違うことや
“自慢は智慧の停滞”って言うねん
そこで終わりってことや 自慢するってことは…
だって例えばな ぶわーっとあそこまで走ろうと思って
ある程度走ろうと思って走ってきた
「凄いねあんた!!」って言われたら まだ私走るよ?ってね
こんなぐらい違うよ?って思うやろ?
限界やと思ったときに 「偉いね?」って言われて 偉いよ?って思ったら
それはもう走られへんってことやろう?
行けたら行くって言わへん?
「いやいや まだまだ大丈夫よ 行くよ?」って
「こんなぐらいと違うよ?」って走らへん?
ほんで今日も言うててんけど3歳のときとか 初めて子どもがヨチヨチ歩いて
「うわ? 歩いた歩いた?」って褒めるやろ?
学校行くときに 「しんどい」って止まったら「歩け!!」って言わへん?
「何いうてるねん!!」って言うやろ?
例えば 今度 小学校になる子がいて「わ?歯磨きできたね」って言うけど
あんたにお母さんが「歯磨き出来たね?」って言ったらどう言う意味って思えへん?
だから、やっと立っち出来たときかけた言葉とか3歳の時の言葉とか
小学校に行くようになったときの言葉とか違うやろ?って言ってん
神仏様に怒られるのは違って当たり前やって言ってん
出来るから言われてる…
出来ひんかったら言いはらへんて その程度やって褒めて貰えてるねんて
そういう事が分からへんで 自慢をすると
それは自慢は智慧の停滞や
そんで終わりなんや
まだ走れるのに あんたが200メートルくらい走ったところで
「郁代ちゃん偉い?」って…「ちょっと待てよ まだ私走れるで」って
それより あそこまで走ったら何分とかって言うて欲しいわって思わへん?
「そう!!」って止まったら終わりやろ?
そう言うことなんやと思うって私は言ってん
だから「出来ても褒めてくれへん」って私の友達でもみんな言った
他のことも言ってんで、私
例えば人生の中で誰に出会って誰かがちょっと後ろを押してくれた
あの人の一言があったからこの仕事に変わったとか
こんなことが出来たって、いっぱいある…
でも その人と続いているかって、そんなもんと違うやろ?
人生の旅路の中で誰かに出会って声をかけられたり
ちょっとしゃがんでたら、ちょっと誰かが何かしてくれた
もちろん自分だって 誰かにしてきたか分からへん…
で、まだ歩いていくねん。
「私は あの人にこうしてあげた」って
「こうやってあげた」って言ってたら 進んで行かれへんやろ?』
相手の背中をそっと押すような声をかけられるようになりたいです。
唯先生、ありがとう存じます。
ありがとう存じます。
菜穂美